2009年5月18日月曜日

物書きが本職でないので

物書きが本職でないので人の書いたものに物言うことは難儀である。

最朝に新聞(といっても最近はデジタル化されて小さなものになってしまっているが)を読むようになった。
通勤電車の地獄のような窮屈さの中、情報を仕入れる手段として考えたのだが以外に具合がいい。
小さく織り込んだ新聞より小さいものに必要な情報が入ってる。
雨がふっても濡れることはないし、第一ゴミがへる。
最近はやりのエコロジーである。当然皮肉である。

最近、言葉の難解さを競っていたような過去の新聞とはすこし毛色が変わっていることに気付いた。
題字に何々の負担が大きいというのがあったが、一昔前なら、何々負担増と書きそうなもの。

ふむ。これが柔らかい表現というやつか。
わかりやすいものは柔らかく表現せよというやつか。

昨今の「何々な感じみたいな」文法も、柔らかく表現せい、という尊い教えの中から生まれたものだろう。
それならばこれから十二分に使わねばなるまい。柔らかい表現というやつを。

と、ここまで考え、ふと、思った。

先ほどのは題字である。
引き付けられれば(読まれれば)良いのである。

伝えるのは簡潔にわかりやすいものという原則を聞いたことがある。
これも時代流れか。簡潔ではないがよりわかりやすいものを選んだのか。

私も古い人間である。

その記事の内容と言えば最近話題の裁判員制度のことである。
書いた人の略歴、写真とともに制度の問題点を十二分な柔らかい口語体で書いてある。

なんてことはない。ようは面倒なのだ。

制度の評価は内外の専門家に任せるとして、市民感覚を入れる趣旨であるこの制度。
さっそく市民感覚から”面倒”を言い渡されたようだ。

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