2010年2月1日月曜日

そろそろ いいかな

D3Xを手に入れてから半年。あちこち撮り歩き、一通り(それでも使いこなせない)触りまくったので雑記。

DXとの比較
D300と比較して諧調が出やすいのは多分画像処理部の仕様とおもわれる。
AD-Lightningが使いやすくなり、暗部の諧調が柔らかくなって出力される。
12Bit,AD Offの状態で撮ると結構硬く出力される。
ノイズは画素数が多いこともありごまかされる分を差し引いてもD3Xは優秀。
シャッターショックが少なく(D300はあるレンズでは絞りリングをビビらせる。マジで驚く)安心して振り回せるが、重い。D300+MB-D10(エネループ8本)といい勝負。

同じレンズを使って撮るとよくわかるが色の違いは本当に少ない。
24-70mmF2.8Gを使って撮り比べてみても遜色なく使える。
広角側が少し物足りなくなるのは仕方なし。

短焦点(特にAi-s 50mmやPC-35mmなどの古いレンズ)と組み合わせたときの精細さは圧巻である。
ちなみにゴミは付きやすい。絞り切るとすごいことになる。
回折は出やすい。と感じる。時と場合によるがF8からシビアになってくる。

2009年5月31日日曜日

あじさいと雨と

あいにくの雨の中、あじさいを写真におさめに近くの公園まで行って来た。
最近のデジタル一眼はフルサイズのセンサーでぼけ味が非常にここちよい。
あまり花に詳しくないので細かな名前まではしらぬ。
しかし。毎年あじさいは楽しみにしている。



おそらくピーカンの天気ならもっとコントラストがついたのだろう。
今日はあいにくの曇天で、光が多いとは言えぬ。こういうときはISO感度をあげてしまう。デジタルの良い点であろう。



額紫陽花も咲き始めで、これからが楽しみだ。
この真ん中にある手鞠がなんともかわいい。


そうそう。D300Sなる機種の噂がでてきた。
D300のスペックに動画撮影機能をつけるようだ。
あえて必要とは思わぬが、あれば便利という範囲で楽しむものだろう。
普通にとれば手ぶれがひどく、酔いそうな映像になることだろうし。

まぁ そろそろ発表のことだろう。新機種発表でなにかが安くなればこれ幸いと買う向きがあれば、6月は何も手につかぬ月になる。

2009年5月20日水曜日

D4? D400?

とかく白黒つけたがる輩が多い。
デジタル一眼カメラはAPS-C,APS-H,フルサイズでどれがいいか(どれが優れているか)まぁ、ちょっと検索しただけで様々な情報がでてくる。
良い悪いの二元論でほとほと困ってしまった。

NikonがいいとかCanonがいいとか。フルサイズがいいとかAPS-Cは悪いとか。
どうでもいいではないか。

道具である。
目的は異なれど、カメラは道具である。

様々な理由をつけてどっちがいいとかいろんな情報が錯綜して特徴を知るのに時間が恐ろしくかかった。

良い情報だと思われるのは2点あった。

CMOS(CCD)サイズの違いによりパースがちがう。
COMS(CCD)サイズの違いにより被写界深度がちがう。

うむ。これは非常に納得でき、すっきりと理解できる。
写真として楽しむ場合、ものすごく重要なことであろうこのことに触れていた情報は非常にすくなかった。

二元論に多かったのがノイズ。
次に画素数。

ノイズは技術的な観点と鑑賞による観点で異なる。
ノイズは少ないほうがよい。
これが粒状感になるとちと変わる。
鑑賞にたえうるか(ようは美しいかどうかだ)がカギになる。

画素数は多いほうがよい。いや、現像処理に時間がかかるし、第一ピクセル等倍にしないし、大きな印刷にしないので不要。

どれもしっくりこない。

ノイズは粒状感(多分フィルムでは当たり前の話なのだろう)と本当のノイズがごった煮になっているようで、それに人の感性がはいってなんやら結論のない意見の応酬になっている。
これをこれから写真でもと考えている善良な人が見たらいやになるだろう。
なにせ、なに買っていいかわからないわけだし、失敗したくないからいろいろ見て回っているのだ。

画素数もそうだ。
デジタルになり等倍でみられる環境になったからこそでもあるが、多い少ないに固執して何か見誤ってる。

色の三原色やら光の三原色やら、A/Dコンバータ、D/Aコンバータ、果ては色のキャリブレーションやプリンタの実解像度まできれいに説明し、だからこうなのだと結論づけてほしい。

まぁ、無理なのだ。結論はデジタルなので高画素がよいは決まってしまっている。
データである以上、少なくすることは容易だが増やすことはできない。
当然、間引く時もアルゴリズムがあり、増やす時もアルゴリズムがあり。
”それなり”に見えることはできる。

しかし。
アナログではないので。
データ以上は無理。表現できない。

色の諧調は無限であるが、データは有限である。

デジタルである以上、有限の中でやらねばならぬ。
もともと制限のある中でやらねばならぬ。表現上、制限があるのは明白。

デジタル化の波は企業戦略で、囲い込みの手段としてあるものと考えている。
つまり、有限である以上、新しいものが常に作られ、変わっていく。

これがアナログだとそうもいかない。
変わらなくともいいものはいつまでも使われ、価値が認められる。
デジタルはデータであり、データは軽視される。

その意識こそが問題である。

結果、「簡単だよね~」の一言でコストダウン(IT化でコストダウンというが、実際は作業をITで代替しているため、一人当たりの作業負担は増えている)プログラムは動いたらほっとく。その間は動いてないからタダだよねん。そんなことあるわけない。
ITレベル(プログラムかけるとかではない。単に技術を知っているかのレベル)がものすごく低いことに気付くべきだろう。
そんな輩でも使えるITってものすごいことなんだって知るべきである。
インフラって当たり前にうごくけど、それってものすご~く大変な技術なのだ。

話がそれた。

大丈夫。どれかっても一緒である。
道具なのだ。使う側の問題である。

Nikonユーザなのでそれしか知らんが、困ったことはない。(Richoもあるが)
D4でもD400でも、道具なので必要と感じるものを使えばよい。当然財布の都合もあるが。

噂は楽しむもので期待するものではないぞ?
嘘でも楽しむくらいでちょうどよいのだ。

2009年5月18日月曜日

物書きが本職でないので

物書きが本職でないので人の書いたものに物言うことは難儀である。

最朝に新聞(といっても最近はデジタル化されて小さなものになってしまっているが)を読むようになった。
通勤電車の地獄のような窮屈さの中、情報を仕入れる手段として考えたのだが以外に具合がいい。
小さく織り込んだ新聞より小さいものに必要な情報が入ってる。
雨がふっても濡れることはないし、第一ゴミがへる。
最近はやりのエコロジーである。当然皮肉である。

最近、言葉の難解さを競っていたような過去の新聞とはすこし毛色が変わっていることに気付いた。
題字に何々の負担が大きいというのがあったが、一昔前なら、何々負担増と書きそうなもの。

ふむ。これが柔らかい表現というやつか。
わかりやすいものは柔らかく表現せよというやつか。

昨今の「何々な感じみたいな」文法も、柔らかく表現せい、という尊い教えの中から生まれたものだろう。
それならばこれから十二分に使わねばなるまい。柔らかい表現というやつを。

と、ここまで考え、ふと、思った。

先ほどのは題字である。
引き付けられれば(読まれれば)良いのである。

伝えるのは簡潔にわかりやすいものという原則を聞いたことがある。
これも時代流れか。簡潔ではないがよりわかりやすいものを選んだのか。

私も古い人間である。

その記事の内容と言えば最近話題の裁判員制度のことである。
書いた人の略歴、写真とともに制度の問題点を十二分な柔らかい口語体で書いてある。

なんてことはない。ようは面倒なのだ。

制度の評価は内外の専門家に任せるとして、市民感覚を入れる趣旨であるこの制度。
さっそく市民感覚から”面倒”を言い渡されたようだ。